我が家はあまり裕福ではなかったのかもしれない。
幼い頃、祖父母の家に行き強請れば色々なおもちゃを買ってもらえた。
まだ、右も左も分からず自分の家はどのくらいの家庭なのか把握できていなかった。
母方の祖父がよく自転車を貰ってきてくれたので、頻繁に乗り替えていた。
印象に残ってるのが「犬のフンを踏んだからもう乗りたくない」と駄々を捏ねてたことだ。
たったそれだけで自転車を替えたこともありました。
そのせいか「ウチの家は裕福なんじゃないか?」と幼心で感じていました。
しかし、年を重ねるごとに疑問に思うことが出てくる。
「なぜ、我が家は一軒家じゃないんだろう?」
実の所、未だに県営住宅に住んでいます。
県営住宅と言うと聞こえは良いですが、「団地」というモノですね。
これがまた市内で一番治安が悪い団地だったと思います。
駐輪場や防災倉庫に石を投げるので窓は割れてるし、ゴミは散らかって
世紀末のような場所でした。
そのお陰もあって、様々なことを学べました。
物心つく頃には、自分が団地に住んでいる事をひた隠しに過ごしていました。
小・中学生の時は団地住みが5〜6分の1ぐらいだったのであまり敏感にならずに済みました。
高校の時は苦労しました。
家に友達を呼んだりしたかったのですが、色々考えてしまい呼べませんでした。
「一軒家に住んでると思った」と何度か言われた事がありましたね。
団地に住んでると知られた時の「あっ」みたいな感じが本当に嫌でしたね。
出来るだけ貧乏とか団地に住んでいるという事を悟られないようにしていました。
今思うと気にし過ぎだったのかもしれないですね。
やはり、人の家が羨ましかったのでしょうね。
親は何不自由なく育ててくれましたし、問題があるとすれば自分自身でしょうね。
結局、自分は悪くない悲劇のヒロイン演じたかったのかもしれませんね。
最後に一つ言わせて欲しいのですが、問題児の団地出身率は明らかに高かったです。
今回は少し卑屈で妬みなどが混じったものになってしまいました。